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| 注: このページは私の現状として専門学校のホームページに掲載しているもの等を抜粋しています。ATCのなり方や留学についてなどは、リンクにあるアスレティックトレーナーの方々のホームページを参考にして下さい。尚、質問等がある方はメールにて宜しくお願い致します。 | |||
+++ATCを目指す+++ 「1999年8月の現状」 富士HP掲載文 トレド大学に入学して、半年が過ぎようとしています。 この間に初めて体験することがたくさんありました。しかし、元気に大学生活を送っています。 まず、なぜ私が留学しようと考えたかをお話いたします。私が、アメリカで勉強しようと思ったり理由は3つあります。一つ目は単純に英語が喋れるようになりたかったこと、二つ目は、バスケットボールが好きだったこと、そして三つ目は自分がどこまでできるのかを試してみたかったことです。 最初、私が富士アスレティック&ビジネスカレッジ(以降富士)に入学したころは、何となくアメリカにいけたらいいなという憧れに過ぎませんでした。しかし、2年生の夏にアメリカに10日間ホームステイした後にここで自分を試してみたいと留学することが現実の考えとなりました。その時には、まだアメリカの大学について何も知らなかったので、富士の先生にいろいろな話を聞き、アメリカの大学の資料を集めたり、英語の勉強をしました。 いよいよ卒業というときに、大学に願書を出そうか迷いました。そしてまず英語を勉強して、TOEFLの点数を上げることに決めました。富士から提携英語学校の資料をもらっていたので、そこで勉強することにしました。正直言って、高校のときは形だけの勉強だったので、英語は一からやり直しという感じでした。それでも、TOEFLの点数が思った以上に良かったので、すぐに目標点に到達すると思いました。しかし目標点に達するまでに半年かかってしまいました。 そして、今年の1月からトレド大学に入学することが決まりました。日本を離れシカゴを経由して約14時間後トレドに到着したのですが、いきなり荷物がなくなるという事態になってしまいました。それでも大学から、迎えがきていたので、その人に手伝ってもらいその日は、電話番号だけ教えてもらい帰りました。たまたま到着した日がクリスマスに近かったこともあったのでしょうが、教わった電話番号に電話しても誰も出ませんでした。結局、荷物は2日後に見つかりましたが、一時的に入った部屋は、一人で学校にもほとんど人がいません。しかも三日目以降からは雪が降り始めなにもできない日が何日か続きました。 この冬の雪はトレドでもかなりまれな豪雪となり、飛行機が飛ばないで、学期の始まりに間に合わなかった人もいたそうです。だれでも最初に入学したときにはいろいろな手続きをしなくてはならないのですが、私の場合は、アメリカの英語学校に入学しなかったので、すべてをいきなり英語でやるということが大変でした。今でももちろん大変ですが、最初の3ヶ月は何をどう勉強すればいいのかもわからず、ただ時間だけが過ぎていくという感じでした。 ルームメイトのアメリカ人はいつ勉強しているのかというくらい勉強していないのに、私は勉強しても、わからないという日が続きました。今でも、もちろん分からないことはたくさんあるけれどもなんとか解決策を見つけることができるようになりました。アメリカに来たばかりのころは色々なことを一度に吸収したせいか、かなり消極的な考えになっていましたが、今ではそういう考えは消え、色々なことに挑戦してみようと思っています。 正直に言って、勉強や英語の生活から逃げ出したくなることがあります。しかし卒業するまで、すくなくても3年以上かかりそうなので、自分自身をどこまで高められるか、そして、いったい自分は何をしにアメリカに来たのかということを忘れず大学生活を楽しもうと思っています。 つい最近、大学よりアスレティックトレーニングプログラムに入学が認められました。まだ、先は長いですがこのチャンスを逃さないようがんばります。 ←HOMEへ ↑MENUへ - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - +++生活に慣れてから+++ 「2001年8月の現状」 富士HP掲載文 初めてオハイオ州トレドの地を踏んでから二年半が経ちました。 楽しかったことや、苦しかったことなどすべてが昨日のことのように感じるほど、早く時間が過ぎています。秋学期から4年生になります。英語が苦にならなくなってきたので、余裕をもってアスレティックトレーニングの勉強やトレーナー活動ができるようになりました。正直、アスレティックトレーニングのクラスは富士アスレティック&ビジネスカレッジ(以下富士)で勉強したことがかなり助けになりました。驚いたことに、Modalities(物理治療)のクラスなどは富士で習ったことの復習に少し詳細が加わった程度でした。 勉強、アルバイト、アスレティックトレーニング活動の両立?三立?はかなり大変ですが、なんとかここまでやってきました。卒業まで後一年になりましたが、この一年を無駄にしないように今まで通り、一生懸命やっていきたいと思っています。 プログラムに入ってから、女子バレーボール、男女テニス、フットボール、野球を学生トレーナーとして経験してきました。この秋学期は水泳とダイビングにつくことが決まっています。 女子バレーボールでは渡米してから半年しか経っていないこともあり、英語があまりうまく喋れなかったですが、チームと一緒に一人で遠征についていくなど、初めてなことばかりの4ヶ月でした。 その次の男女テニスは、インターナショナルの選手が多く、男子では8人の選手の内、アメリカ人は一人でした。同じ留学生として、選手達と楽しく過ごすことができ、さらに学期の終わりにはカンファレンスのトーナメントがトレド大学で開かれたので、良い経験をすることができました。 フットボールでは、始めの2ヶ月ほどは黒人の選手達の独特な英語を聞き取るのにかなりとまどりましたが、勝ち試合が多く、チームの雰囲気が良かったので助かりました。さらに、私は高校の時から足首のテープを自分で巻いていたこともあり、さらに富士や日本での実習での経験から、かなりうまく巻くことができるので、選手達に好評で選手からテープを巻いてくれと言われることも喜びの一つでした。 フットボールでは一番多くの怪我を見て触れる事ができました。 野球では、練習前後にトリートメントとして、富士で習ったトリートメントテクニックやアメリカのマッサージ師から教えてもらったテクニックなどを使って、疲労や緊張をほぐすことに専念していました。この野球では初めて一人でチームを管理することを任せられました。忙しかったですが、楽しい時間を過ごすことができました。 秋学期の水泳とダイビングも4年生は私だけで、他に誰がつくかがミーティングで決定されます。どちらにしても、プログラムに入ってきたばかりの学生になるので、今からうまくやっていけるかどうかちょっと不安ですがそれ以上に、チームが活躍できることの期待でいっぱいです。 卒業後の進路はまだ決定していませんが、これからも富士の卒業生として恥ずかしくないように一生懸命にやっていきたいと思います。 ←HOMEへ ↑MENUへ - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - +++晴れて卒業+++ 「2002年6月現在」 富士パンフレット掲載文 富士アスレティックビジネス専門学校(以下富士と略す)を1998年に第二期生として卒業し、英語の勉強を挟んだ後、渡米して直ぐにオハイオ州トレド大学のアスレティックトレーニング学部に入学して3年半が経ち、ついに卒業する日を迎えました。これまでの間、楽しいことより苦しかったことの方が多いように思えますが、それ以上に得る物が多かった留学生活でした。 トレド大学生活最後の1年は学生アスレティックトレーナーとして、秋学期に水泳とダイビングを受け持ちました。肩や腰に慢性的な痛みのある沢山の選手が、朝の練習後アスレティックトレーニングルームを訪れトリートメントやリハビリテーションを行う事が日課でした。実際、トリートメントの過程で痛みが何をやっても消えない選手や手術をシーズン後にしなければいけない選手が何人かいました。春学期はクリニックセッティングと行って、学校外の施設で学生アスレティックトレーナーとして働きました。最初の2ヶ月を高校で、後の2ヶ月を理学療法士のいるリハビリテーション施設で行いました。高校では、ちょうど1月から3月ということもありバスケットボールのシーズンの時期だったので、主にバスケットボールの練習、試合をカバーしました。また、同じ時期にレスリングもシーズンでした。レスリングはトレド大学にはなかったので、特に感染症など勉強すべきことが沢山ありました。リハビリテーションの施設では、いつもの大学選手たちとは違い一般の市民を相手にする機会が多く、最初は話題などに戸惑いましたが、時間が経てば会話も弾むようになり、良い雰囲気の中で経験を積むことが出来ました。 現在は、アメリカのアスレティックトレーナーの資格を取得する為に、更に勉強をしています。そして、次の秋学期から大学院へ進学することが決まっています。今でも考えることは、アメリカに来たことが正解だったかというのは分からないという事です。ただ、日本にいても出来たかもしれませんが、渡米していろいろな方向から物事を見ることができるようになったこと、精神的に強くなれたこと、それから沢山の人達に出会えたことは確かです。 これからも富士で培った精神を忘れずに頑張りたいと思います。
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